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『どうやればいいのか分からない』は言い訳かもしれない

ほたる
公開日:
約7分

どうも、ほたるです。

今回は少し哲学的な話です。 資産運用や家計管理にも活かせる考えなので、ぜひお伝えしたいです。

「どうやればいいのか分からない」とフリーズすること、ありますよね。

私も昔はそうでした。

でも最近思うのは、それは「分からない」のではなく「選ばない」だけではないかという仮説が今回のテーマです。


「分からない」の裏側にあるもの

「どうやればいいのか分からない」

この言葉、よく使いますよね。

自分の場合、家族や職場の人でこの言葉を使う人がいます。

でも、本当に選択肢が見えていないのでしょうか?

多くの場合、実は選択肢は見えています。

何をすべきかも大体分かっている。でも、そこから選ぶ決断ができない。

本やニュースや検索、今ではAIに聞くという手段が取れます。とても情報にアクセスしやすくなっているはずです。

そう考えると、「分からない」と言ってはいるが、実態は「選ばない」だけということが、かなり多いと思うんですよね。

ちなみに私も元々そういうタイプでした。

一応、調べるぐらいはするんですけど、結局行動は変えないみたいな。

今は少しずつ行動できるようになってきた気がします、多分。

これだけ大衆がAI使えるようになって、その言い訳は無理だろ……って感じで。

けど周りを見ても、同じようにフリーズしている人が多いように感じるんですよね。


「選ばない」ことは、実は責任を放棄している

「選ばない」ことで責任を回避できているように感じるかもしれません。

パッと見、いきなり変化はないのでそれで良いようにも思っても不思議ではありません。

でも、それは違うのかなと。

なぜならそれは、「選ばないことの責任」を暗黙的に受け入れている状態と言えるからです。

変わらないように見えて、リスクは溜まっている可能性があります。

なんせ棚上げしているだけですから。

それに気づいていないから、危険なんです。

日常の中に見えないリスクが蓄積していく。いつかそのツケが回ってくる。

そんな状態なのってとても怖いと思うんですよね。


「決断≒責任を取る」とはどういうことか

では 「決断≒責任を取る」 とはどういうことでしょうか。

私なりの定義を共有します。

こんなロジックでそのように定義しています。


自責でしか人生は主体的に生きられない

なぜ「自責」を大切にするのか。

自責でしか自分の人生を主体的に生きられないと思うからです。(異論は認めます)

他責の人は、言い訳に固執しがちです。

そしておそらく成長できませんし、人間関係も生きにくくなる傾向があるように思えます。

自分以外の何かを原因にしてしまうと、自分を変えられる機会を失います。

一方、自責の人は、一時的に辛い目を見るかもしれませんが、自分のコントロール範囲を広げられます。

うまくいかなくても、次に何ができるかを考えられる。

これが長期的には報われやすいのかなと思います。


選択から目を背けない勇気

人生は常に選択の連続です。

「どうやればいいのか分からない」は、実際には「選ばない」ことです。

そして「選ばない」ことで、暗黙的にリスクを負っている。

人にはそれぞれの環境や状況もあるのは理解しています。

ですが、この暗黙的にリスクを負っていることを過小評価するのはとても危ないと思います。

選択するのは勇気が必要なのも理解できますが、この危険に比べれば実はハードルが低い勇気なのかもしれません。

そういう観点で考えると、選択から目を背けない勇気が大事だと思います。

結局は勇気ということになって恐縮です。

ただ、その勇気を持つことができた自分であれば、胸を張って自分の人生を生きられるのかもしれません。


まとめ

主体性がなく、人に流されがちだなぁと思う人に届いていれば幸いです。

流される割に決断フェーズで延々と時間を使い、行動しない。

それは「分からない」のではなく「選んでいない」だけかもしれませんよ。

まずは小さな選択から始めてみてはいかがでしょうか。


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