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資産も土も自分で耕す

ほたる
公開日:
約10分

どうも、ほたるです。

最近、本格的に園芸に目覚めています。

プランターで水菜・ガーデンレタスミックス・青しそを育てていて、先日はメダカを中心としたビオトープも作りました。

そして今は、土のう袋を活かした家庭菜園をスタートさせようとしています。

最初、この園芸は「なんとなく趣味で始めた」くらいの気持ちでした。

あと「姪たちへの食育になればいいなぁ」ぐらいでしょうか。

ですが、取り組んでいるうちに、これは「ただの趣味」ではないかも?と思うようになりました。

そして 投資で学んだリスク管理や、自分の判断で動かす感覚が、園芸にそのまま活きているのも実感するようになりました。

そしてそれは、もしかしたら「田舎で生きる」という大きな意思決定への、最初のリハーサルなのかも?と思考するようになりました。

今回はそんな話を伝えたいと思います。

園芸でも投資の考え方が活きる

2020年から学んできた資産運用の知識は、意外な場所で実を結んでいます。

例えばベイビーステップの考え方。

投資で大切なのは、いきなり全財産を突っ込むのではなく、少額から始めて徐々に慣れていくことです。

同じように、園芸でもプランター3個から始めて、6個へ。

そして、今は土のう袋を活用した栽培へと段階的に広げています。

無理して広大な畑を借りたり、高価な機材を買い揃えたりはしません。

初期コストを低く抑えて、失敗しても生活に直結しないレベルで挑戦する。

これは投資でのリスク管理そのものです。

「熱中症にならないか」

「電動工具や鎌で大怪我しないか」

「自分自身が消耗してしまわないか」

そうしたリスクを想定しつつ、無理しない・慢心しない姿勢で進めています。

これは意識的に行っているのではなく、ごく自然と思考し、実行できているようになったのが成長なのかな?と実感しています。

そして私の中では、「失敗」の定義すら書き換わったことに気づきましたね。

今の私にとって失敗とは、「得られるものもなく、教訓もないこと」、あるいは「想定外の一発アウト」を指すようになっているようです。

仮にプランターで野菜が育たなくても、メダカが思うように泳がなくても、それは失敗ではなく「次に活かせる情報」です。

下がっても上がっても旨味がある。まるでバリュー株投資のようなイメージですね。

失敗というか負けづらい構造で、ガンガン取り組むのが自分の性に合っているようです。

道具を使いこなす主体性が心地いい

園芸をする上で、SNSやインターネット、AIにはとてもお世話になっています。

園芸の定石、生活の知恵、失敗談、選択肢の比較。これらはほぼ無料で手に入ります。

しかし、これらはあくまで 「道具」 に過ぎません。

どの情報も前提が自分の環境と完全に合致していないからです。

たくさんの情報が溢れている中で、どれを信じ、どう自分の環境に適用するか。それを決めるのは結局、自分の判断と行動です。

この 「道具を使いこなしているのは自分だ」 という感覚が、とにかく心地いいのです。

以前、「使っている機能は衰えにくい」という記事で書いたように、情報を集め、吟味し、自分の頭で考えて行動するという一連の流れもまた「使っている機能」の一つです。

園芸は、その機能を自然な形で維持させてくれる場になっているのでしょう。

だからハマっているのかもしれません。

「リラックス」と「実利」は分離していない

よく「趣味は趣味、仕事は仕事」と分ける人がいますが、私の園芸はそうではありません。

「リラックスのために庭に出る」のと「実利(野菜を育てる)のために庭に出る」のが、別々の行動ではないのです。

自然にリラックスしながら活動している過程そのものが、実利につながっています。

植物や生き物を育てるのは楽しい。

そしてそれが食卓に並んだり、家計の足しになったりする。

さらにいえば、身体を適度に動かし、太陽光を浴びてビタミンDが生成され、生き物を眺めて癒される。

これらは全部、過程の中に自然に含まれている恵みです。

自然の摂理に沿いながら、古今東西・老若男女の知恵を掛け合わせる。

そうすることで、無理をせず、自然の力を活かして恵みを得られる。

これが理想的な形だと感じています。

園芸から成長を再確認できる

最近は「年齢による衰え」をちらちらと感じることが多くなりました。

しかし、2020年以降に包括的に学んだ資産運用の結果、

これらが身につき、今の自信と活力につながっています。

そして園芸が、その成長を再確認させてくれる場になっているように思います。

つまり、これまでの取り組みが報われている感覚が、楽しさにつながっているのかもしれません。

まぁそれでも、一体の動物として「年齢による衰え」への不安は、一定抱き続けると思います。

ですが、それは自然の摂理であること、そして自分がそこそこ対応できていることで、かなり不安は解消できるのかなと思っています。

田舎で生きるためのリハーサル

私はこの活動を通じて、あることに気づきました。

今の園芸は、もしかしたら「田舎で生きる」という大きな意思決定への、リハーサルなのかもしれないということです。

私には自分の部屋という自分のテリトリーはあります。 ですが、今はそれを庭を始めとする実家そのものへ広げようとしています。

どこでも生きられるのは強さだと思いますが、現状ではこのまま田舎暮らしをするのが個人的には合理性があると判断しはじめました。

考えていないわけではなかったのですが、今田舎で生きることに向き合う意識が加速した感じです。

両親は健在ですが高齢者の枠に入り、日に日にできることが減っている実感もありますね。

自分にとって心安らぐ空間を作る。

そして家族もそれを喜んでくれる。

これは、単なる理想の庭ではなく、別の生き方への具体像なのかもなぁと思っています。

経済的な準備と、挑戦するための汎用的な素地は、すでにできています。

あとは具体的な行動と経験を積むこと。

そしてその歩みを止めないこと。

それを心がけて、田舎で生きるためのリハーサル期間に精進したいと思います。

まとめ

資産運用で培った「生きる力」は、プランターや土のう袋の中で、自然な形で実を結んでいます。

投資で学んだリスク管理、自分の判断で動かす主体性、そして「どう転んでもプラスになりえる」という自分のリスク観。

これらは、園芸をやる中で、もっとも素直な形で表出されているように感じているというお話でした。

園芸は趣味でもあり、リラックスの場でもあり、実利を得る手段でもあります。

でもその根底には 「自分の手で環境を作り、自然の摂理に沿いながら生きる力を確認する」 という、もっと大きな意味があるのかもしれません。

資産も土も自分で耕す。

くつろぎと実利を、自分と大切な人たちのために自分の手で築いていきます。

無理がないように自然の摂理と知識・知恵をすり合わせて、自分に合ったやり方で挑戦し続けていこうかなと思います。

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