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計画は責任の解像度から

ほたる
公開日:
約11分

どうも、ほたるです。

最近、こんなポストをしました。

計画を立てることは大切みたいなことをよく目にします。ですが、その計画に沿うための算段や、段取りが雑であるために、計画が形にならないということはよくあります。どうやるか?の解像度を意識しつつ、取り組めると捗ります。

もう少し整理してお伝えしたいと思います。

計画が形にならないのは段取りのせい?

計画を立てるのは難しそうに捉えがちですが、意外と人は計画しています。

でも、それを実行に移すときにいつも詰まりがちです。

こんな経験はありませんか。

計画自体は立っているのに、そのとおり実行ができない、最後までできない、やたらと苦労して次からやらない。

この落差を「やる気がない」「自分には合わなかった」などと片付けることが多い気がしています。

しかし、それは本当にそうか?なんとかできないか?というのが今回のテーマです。

解像度が低い6つのパターン

まず「段取りが雑」とは、具体的にどういう状態なのかを考えてみました。

これは人によってかなりばらつきがあると思います。

それで足踏みしても始まらないので、自分自身に問い直してみました。

すると、6つのパターンが見えてきました。

パターン内容
1目標から日々の手順に落とせていない
2優先順位・前提条件が曖昧
3環境や体調で変わることを一律に計画
4中断から戻る条件が未定義
5完了条件が主観的
6依存関係・切り替えコストを無視

個人的に、1と2は特に心当たりがありますね。

「資料を作る」と書いてあっても、「どのツールを開くか」「何を最初にやるか」が決まっていないと、一歩目から詰まります。

他の4つのパターンは少し細かいですが、実はこちらの方が根深いかもしれません。

「毎日3時間」と計画しても、帰宅後の疲れた時間と朝の頭が冴えている時間を同じ扱いにするのは無理があります。

また中断から戻る方法を決めていないから、一度止まると止まったままになりがちというのもありますね。

完了条件が曖昧だから、「もう少し」とダラダラするか、逆に「まあいいか」と諦めてしまう。

計画は「レールの上を走ること」しか想定していない。

でも現実は、凸凹の地面を歩くようなものなんですよね。

すべてにおいて都合の良い状況の方がむしろ少ないのに、それを考慮していないことが

逆に言えば、現実をありのまま見て、飾り立てずに計画に織り込むことで解像度は上がるのかもしれません。

根本原因:理想が重すぎて、事実が軽い

もう少し深く考えて、原因を考察したいと思います。

ここまで考えてきて気づいたのは、これらに共通する「発想のズレ」です。

【過剰に重視される】   【軽視される】
 理想・目標・想定     前提・事実・現実

「どうなりたいか」に目が行きすぎて、「今どういう状態か」「何が動きを制約しているか」という現実の感触を軽く見ているのかな、と。

計画が失敗するのは、「計画はレールの上を想定している」からです。

現実はそうではありません。

環境や体調、中断、依存関係。

それらを全て織り込まない計画は、最初の一歩でこける可能性を常に抱えてしまうリスクがあります。

「計画の具体化」を避ける心理

では、なぜ私たちは計画を低解像度のままにしがちなのでしょうか。

私は、ここに責任からの逃避があるのではないかと思いました。

恐らく無意識で。

「計画を具体的に決める」という行為には、ある種の重みがあります。

つまり、計画の具体化を避けることは、責任の回避と表裏一体です。

もっと踏み込むと 責任から逃れるために計画の具体化から逃げて、失敗してもその責任から逃れる言い訳としての計画を作ってしまう。 のかもしれません。

そして、残念ながらかなり自分にも心当たりがあるんですよね。

なんなら、「ほたる」として活動しているこのブログやSNSなどの取り組みのほとんどがそれに当たる気がします。

理想と現実をごちゃまぜにして、のらりくらりやっていますからね。

反省。

変わらないことにも責任がある

先ほど「計画を立てない」ことの裏には、次のような心理があると伝えました。

でも、どちらも等しく自分が抱える責任ではないかと思っています。

変わらないことにも、ちゃんと責任はあるんだよってことです。

にもかかわらず、変わらないことの責任は過小評価され、変わることの責任だけが「重い」と感じがちです。

これを抽象化すると、自分自身の人生に対する責任から目を背けている状態と呼べる気がします。

なぜなら、良い選択を判断した結果としての「変わらない」ではなく、選択しないための「変わらない」だからです。

良くするではなく、自分を甘やかすためだけの「変わらない」は思考されていない分、リスクが大きいのではないかと思います。

脳内シミュレーション:絵に書いた餅を実際の食材に

では、どうすればいいのかを考えてみました。

実際に私がやっているのは、脳内シミュレーションです。

いや、脳内かい。となりそうですが、大事なのはその具体というか、粒度です。

「やる」と決めたら、実行する前に脳内でとにかく具体的に試します。

個人差は絶対あると思いますが、とにかく意識の上では 超具体脳内シミュレーション をするつもりで臨んでください。

これを細部まで想像します。できれば実際に小規模で試してみると良いです。

そうすることで、「絵に書いた餅」が「実際の食材」に変わっていくはずです。

そしてこれは訓練が必要です。 いきなり上手くやる必要はありません。

本気でやると、きっとどこかで「あれ、これイメージできないな」という壁に直面します。

その場合は、軽くそのことについて調べ、できれば小規模で試してみます。

……はい、ちょっとしたフラクタル構造ですね。

これをひたすら続けましょう。

かなり大変な取り組みに思うかもしれません。

ですが、やり続けることで実効性のある計画を立てられるようになっていくはずです。

少なくてもやる前よりは、ずっと良い計画を立てられます。

都合の良いことだけ、字面だけの計画は、気持ちいいかもしれません。 ですがあまり意味がありません。

やっている感がある分、たちが悪いかもしれませんね。

自分も気をつけたいと思います。

まとめ:計画は責任の解像度から

計画が形にならないのは、「段取りの解像度」が低いからではありません。

もっと根本に、責任の解像度の低さがあるのではないでしょうか。

計画を立てるとき、理想や目標に目が行きがちです。

でも、前提や事実、現実をどれだけ織り込めるかが、計画の成否を決めます。

そして、計画を具体的にすることは、自分自身の人生に対する責任を正面から受け止めることでもあります。

ワクワクする気持ちは大事にしつつも、そのワクワクを無駄にしない

計画は責任の解像度から。

まずは、計画を立てる前に「今、何が起きているか」を一度見つめてみてはいかがでしょうか。

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