どうも、ほたるです。
先日、Yahoo!知恵袋でこんな相談を見かけました。
「節約しようと思っているのにカフェ通いがやめられない。週4日、1日に2〜3回はドトールに行ってしまう。目的はパソコン作業と読書」
週4日、しかも1日に複数回。かなりの頻度です。
本人も「カフェに行かなければいい」ことは分かっているようです。 分かっているのにやめられないから、相談を投稿しているというわけです。
これを見て私なりに考えたことを、少し整理してみたいと思います。
やめたいのにやめられない構造
まず押さえておきたいポイントがあります。
相談を投稿した時点で、この人はすでに「やめたい」と決めています。つまり、意志はもうあるんです。
それなのにやめられない。ということは、「意志を強く持ちましょう」「我慢しましょう」という方向のアドバイスは、おそらく機能しません。
「行かないようにしよう」と決めるだけでやめられるなら、とっくにやめているはずですから。
では、何がこの人をカフェに向かわせているのか。そこを考える必要があります。
やめられない理由は、味か雰囲気か
週4日・1日複数回という頻度を見る限り、理由として考えられるのは大きく2つです。
1つ目は「味」。ドトールのコーヒーが好きで、家で飲むものでは満足できない。
2つ目は「雰囲気」。家にいると集中できない、落ち着かない、気分が乗らない。
本人ではないので断定はできませんが、この頻度ならどちらもあり得ると思います。
味が理由なら、対策は比較的シンプルです。
同じような味を家で再現すればいい。 ドトールなら店舗で豆も売っていますし、デカフェの選択肢もあります。
もしくはより自分が好きそうな味に寄せることで、質のギャップを埋める方法も取れるかもしれませんね。
ただし、ここで気になるのが「手間」です。
家で淹れるのが面倒だからカフェに行く、という面もあるかもしれませんから。
だとしたら、ドリップバッグでもインスタントでもいいので、手間ごと省ける形にしておく必要があります。
雰囲気が理由なら、話は少し変わってきます。
家が乱雑だったり、逆にシンプルすぎて味気なかったり。そういう状態だと、家は「作業や読書をする場所」としてカフェに負けてしまう。
だったら最初から「家が一番気持ちいいよね」という状態にしておけば、家を出るハードルがいい意味で上がるはずです。
具体的に言えば、部屋の一角でもいいから、居心地のいい空間を作るとかはいいかもしれません。
一つのチェア、一つのテーブル、一つの音楽。 またはそれらを複合させる感じです。
カフェ通いに関係なく、居心地のいい空間はあると、精神的に生活が豊かになるので、考えとしては持っておいてもよいのかなと思いました。
「行かない」ではなく「行く必要がなくなる」
ここからが、この記事で一番伝えたい考え方です。
カフェ通いをやめる方法として「行かないと決める」のは、結局のところ我慢です。
我慢は消耗します。そして消耗するものには、いつか限界が来ます。
それよりも、「行く必要がなくなる」状態を作る方が現実的だと思っています。
行く理由がなくなれば、自然と行かなくなる。
これは当たり前のことですが、これが一番無理のない形だと思います。
つまり、やりたいこと(この人の場合はパソコン作業と読書)が家で気持ちよくできる環境を作る。
それだけの話です。
では、その環境はどのくらい快適にすればいいのか。
ここに一つ、注意点があります。
家は「絶対的」ではなく「相対的」に快適にする
注意したいのは、「快適な家」を目指しすぎないことです。
絶対的に快適な家は、カフェ通いをやめるための絶対の理由にはなりません。というより、本筋から少しずれてくるという感じでしょうか。
完璧な環境を作ろうとすると、どうしてもコストがかかります。
ここで思い出したいのが、この人の目的は節約だということです。
節約するためにカフェ通いをやめようとしているのに、家を快適にするためにそれ以上のお金をかけていたら本末転倒です。
目的と手段がずれてしまいます。
だから私は「絶対的に」ではなく、「相対的に」快適にするで十分だと考えています。
カフェを選ぶ理由が快適さなら、その快適さをちょっと上回る程度の家にすればいい。
比較で勝てばいいのであって、完璧である必要はないんです。
例えば、先ほど挙げたとおり、お気に入りの椅子を一脚用意する。手間のかからないコーヒーを常備する。
それくらいのことでも、比較の天秤は十分に動くのではないでしょうか。
目指すのは完璧な家ではなく、カフェのようなちょっと快適な家。
「カフェに通う自分」との向き合い方
もう一つ、少し深い?話をします。
週4日も通うということは、この人にとってカフェは単なる飲食店ではなく、「自分の時間」を象徴する場所になっている可能性があります。
言い換えると、「カフェに通っている自分」を高く評価したいのかもしれない。
カフェで読書や作業をしている自分が好き、ということです。
だとしたら、家を快適にするだけでは足りない面があります。
「カフェでの自分」が好きな人だった場合、家でも同じように自分を好きでいるという認知に変えなければ、何をやっても無駄だからです。
ここでの対応は、2段階だと考えています。
まず、カフェに通う自分を過大評価しない。
それは特別なことではなく、ただの習慣だと捉え直す。
そして、家で過ごす自分を少しずつ好きになっていく。
お気に入りの場所で、お気に入りの飲み物を飲みながら過ごす自分。それを「特別な自分」として育てていくことかなと。
ただし、順番を間違えてはいけません。
思い込みだけでは続かないので、先に物理的な環境を整える。認知は、後から付いてくるものとした方がいいと思います。
物理が先。気持ちは、あとから付いてくる。
仕組みで解決するという考え方
今回の話は、カフェ通いに限ったことではありません。
意志ではなく環境や仕組みで解決する。
これは私だけの考えではなく、一般的に再現性のある方法だと思っています。
自然に沿うような形で作っていくことが、一番無理がなく、効果も得やすい。
私自身の例を挙げると、こんなものがあります。
- 平日の昼食は、献立を仕組み化して迷わないようにしている
- 朝早く起きるために、畑作業などの活動的な予定をあえて朝に入れている
どれも「がんばって続ける」のではなく、「そうなるように設計する」という発想です。
カフェ通いも同じです。行かない自分をがんばって作るのではなく、行かなくて済む状態を設計する。
まとめ
カフェ通いをやめたいのにやめられない人へ、私が考えたのはこんなことです。
- 意志はもうある。だから我慢ではなく、環境の問題として考える
- 理由が味なら、同じ味を手間なく家で再現する方法を模索する
- 理由が雰囲気なら、家を「相対的に」快適にする。完璧は目指さず、一部でもいいからカフェ並の快適に。
- 「カフェに通う自分」を手放し、家で過ごす自分を育てる。ただし物理が先、認知は後。
「行かないと決める」のではなく、「行く必要がなくなる」状態を作る。
これはカフェに限らず、やめたいのにやめられない習慣全般に使える考え方だと思います。
まあ、そんな感じで、意志に頼らず環境で解決していけるといいなぁという話でした。
この手の「やめられない」話は、根が深いものが多いです。
責めるより設計する方が、結局うまくいくと改めて感じました。
